2013年9月12日木曜日

【書評】世界はひとつの教室

■所感
なぜ小学校が6年、中学校が3年、高校が3年、大学が4年なのか。
なぜ1つの授業が1時間ずつなのか。
なぜ理解が進んでいる子と遅れている子が同じ授業を受けているのか。
なぜ4月産まれの子と3月産まれの子が同じ学年なのか。
なぜ国語、算数、理科、社会と科目が分かれているのか。
なぜ十分に理解できないまま卒業できてしまうのか。

学校教育には考えれば考えるほど、理解できないことが多い。ただ、昔からの習慣でそこそこ上手く機能しているというだけで、誰もそれを変えようとしない。

この本を読んで、今の学校教育の仕組みはプロイセン時代に由来していて、その目的は従順な市民を作ることだったと知り愕然とすると同時に納得してしまった。創造性を壊すのが狙いだった。

今ある慣習を当たり前のものとして盲目的に受け入れるのではなく、それが導入されたときの時代背景とねらいに関して正しい知識を持ち、機能していることとしていないことをきちんと見極め、機能していないことについては新しいやり方を試してみる。

大きすぎて変えられないものであっても、思いに共感してくれる人は必ずいる。まずは小さなことから行動してみる。スモールスタート。そんな気にさせてくれる本。

■今日の赤ペンチェック
・慣習や慣例が何かしら必然的なものに思えてくるのは、人間の性のようです。

・必要なのは、指導や学習に関するごく基本的な前提を見つめ直すための視点、なにごとも当然視せず、「何が機能して何が機能しないか、それはなぜか」という、単純ながら必要不可欠な疑問を重視する視点だと思います。

・人間がとり入れるシステムはみんなそうですが、教育もひとつの発明、発展途上の制度なのです。

・K-12教育のイノベーションの数々は、じつは18世紀のプロイセンに端を発しています。ねらいは、自分の頭で考えられる人間を育てることではなく、忠実で従順な市民を次々と生み出すことにありました。

・慣習の支配は常に人間の進歩の妨げとなる(ジョン・スチュワート・ミル)

・反転授業

■明日から具体的にやるべきこと
・カーンアカデミーに登録
・なぜぐせをつける

■総評
★★★★★

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