2013年11月29日金曜日

【日記】最終出社日

本日がトーマツ最終出社日。
2009年9月に入社してから4年2ヶ月。

色々なことがあった。

セミナー講師での挫折。
ロジカルシンキング実践編のデビューは今でも忘れられない。
それから、誰もいないセミナールームで一人練習を重ねた。
滝澤さん、深谷さん、秋吉さん、久永さん、多くの方に支えていただいた。
人前で話すことは今も得意ではないが、努力すれば、乗り越えられない壁はないんだということがわかった。

ITチームに所属できたことは幸せだった。
安達さんという偉大な存在、新谷さんという好奇心と熱い思いの塊のような存在、小暮さんという太陽のような存在。
自分にはないものを持っている方々に惹かれて入社した。夢を持って仕事をしている人ほど格好良い人はいない。
この決断をして本当に良かった。

そして、営業。入社して1年後の2010年9月。ITチームが解散して、研修営業に配属されると聞いた。
そして10月からテレマが始まった。
30歳前にしての泥臭い営業。
当時、前職の同期に会うのが辛かった。
コンサルティングをしたくて辞めたはずなのに、まさかこんな営業をしているなんて言えなかった。

なぜあの時踏ん張れたのだろう。
ここで辞めたら、所詮あいつはこんなもんだったと思われる。こんな意地もあったと思う。
ただ、振り返ると池谷さんの存在が大きかった。
大船に住んでいた池谷さんとは品川まで一緒に帰ることが多かった。
よく悩みを聴いてもらった。
「意外に今の営業の仕事は向いているんじゃないの?」
池谷さんから言われたことは大きな支えになった。

メンバーとしてチームへの貢献はほとんど意識していなかった。
チームリーダーの視点で考えると、とても扱いにくい存在だったと思う。
目標達成時の飲み会にもいかなかった。
嬉しい気持ちなど全くなかった。
池谷さんがいなくなった寂しさ、最低限の借りは返したという安堵、それだけだった。心身ともに疲れ果てていた。

この仕事は一人ひとりが目の前のお客様に対して価値を提供すること、そのためにはコンサルタントしての力量を地道に上げることしかない。
「目標達成のために」という内向きの思考で、期末になると強化される
営業のノリが大嫌いだった。
この短期思考で内向きの社風は、のちに退職しようと思った理由の1つとなった。

2011年3月。東日本大震災。
初級経営数字のセミナー中にそれは起きた。
目の前のお客様を守ること。
福島の実家の状況が気になってしかたがなかったが、仕事についている以上、自分のことは優先できなかった。皆が持ち場を離れたら社会が崩壊する。
仕事を放り出して帰る人もいた。そういう人を責めることはできなかった。でも、そういう人にはなりたくないと思った。

2011年10月のキックオフ。
伊藤さんのチームのメンバーとなった。
自分よりも後に入社した、しかも自分よりも年下の方が自分の上司となる。会社からは必要とされていない存在なんだということがこの人事でわかった。
ジャックウェルチのマトリックスが流行ったのもこの時だ。
私は完全に左側の存在だった。

伊藤さんには感謝している。
時折、チームの施策を決める前に意見を聴いてくださった。
伊藤さんのチームでなかったら、ここで辞めていたかもしれない。

この指止まれ経営は正しかったのか。
今になってわかったことは、異分子を排除しようという目的で使ってはいけないということ。
これは器の小さい経営者がストレスから逃れたいというエゴだと思う。異分子を使いこなせるかは自分の力量次第と考えるべき。
人を信用せずに首を切る行為は、いつまでも忘れられない。語り継がれる。
人に裏切られても自分は人を裏切るような人になりたくない。人を信用したい。

2012年4月。ミニリーダーになった。
自分一人で成果を出すのとは全く違う。リーダーという役割の難しさが初めて分かった。
7月に成果を出して欲しいと思っていたメンバーから退職の意思を告げられた。
これまでの時間と労力は何だったのだろう。徒労感だけが残った。

会社の方針に従わないメンバーの扱いにも頭を悩ました。
それに対して私は話を聴こうともしなかった。ただやりなさいとしか言わなかった。
上司からのアドバイスをそのまま実行に移した。
リーダーというのは上司のやりたいことを忠実に実行する存在なんだと言い聞かせて。

脅しのマネジメントはもうしない。
上司は夢を語る存在でありたい。
メンバーの長所を活かす存在でありたい。
自信を持たせる存在でありたい。

私のチームが上手くいかなかったのは、良いメンバーが揃っていなかったから。誰がリーダーをやってもうまくいかっただろう。
こんな気持ちが心の奥底にあった。
だから、自分のマネジメント力の無さに気づいていなかった。

2012年10月。neoというチームのリーダーになった。
新しい取り組みをして、全社を引っ張る存在でありたい。夢に溢れていた。

でも、ちょっとしたチャレンジは第一四半期で終わった。目標達成ができなかったから。
年明けから元の営業組織に戻った。
結果を残せなかったのは、話し合いを重ねるだけで、ほとんど実行に移せなかったのが大きい。
戦略だけでなく、実行力と、軌道修正力の重要性を認識した。

目標未達の焦りが募った。
2013年2月のある休日。ほとんど出社していない社内で、危機感のなさに苛立って、メールを送った。
ここから何かが狂った気がする。
川合さんというベテランがチームにいたにも関わらず、誰にも相談しなかった。メンバーの話も聞かなかった。
脅しのマネジメントをしてしまった。

2013年6月。チームリーダー失格と言われた。メンバーとの壁が解消できなくなっていると言われた。
チームのために命を掛けているのかとメンバーから問われた。
それに答えられなかった。

営業のノリは嫌だ。
お客様に価値を提供できるコンサルタントになるために、地道な努力をしてほしい。
弱いメンバーが頼り合うチームにしたくない。
これは私のエゴなのだろうか。

メンバーに謝れと上司に言われたときに、私の中ですべてが終わった。
メンバーに頭を下げ、資源配分を調整し、中核メンバーにチームのマネジメントを移譲して、私の役割は終わった。

2013年10月。新しい期を迎えた。
一人ひとりがプロ意識を持って、目の前のお客様に価値を提供する。
これが商売の原点だと思う。
お客様を忘れた組織に未来はない。
まともな組織になりつつあることを知って安堵した。それと同時に残念だった。
もっと早く話を聴きたかった。

自分の思うことが言えない組織は健全ではない。意見の交換から新たな発見が生まれる。
自分はそこから逃げていた。

自分が所属する組織を健全な方向に導くこと。
誤った方向に行っているときは声を大にして言う勇気を持つこと。
これが今の私の課題。

トーマツでは色々なことを学ばせていただいた。
この学びを次に活かすこと。
それがお世話になった方々への恩返しだと思う。

本当にありがとうございました。


2013年11月16日土曜日

【日記】井の頭放浪記

東京を離れる前に行きたかった所。
大学生の時に過ごした井の頭線エリア。
2013年11月15日、追体験をした。

スタートは渋谷。駒場まで歩く。
松濤のなだらかな坂とこじんまりとしたお店。ここが渋谷とは思えない、ゆったりと流れる時間。

裏門からキャンパスに入る。学生会館がなくなっていた。フルート同好会の部室があった建物もなくなっていた。

昼ごはんは太田屋のキチンカツ弁当をと思い、駒下へ歩く。シャッターが閉まっていた。

駅の案内板もきれいになっていた。



下北沢で降りる。大学4年から3年間住んだ街。小田急線が地下に潜ってから、駅前がすっかり変わっていた。

変わっていないものだけ、写真に撮ってみる。

おじやを食べられるおじゃんカフェ。


前に住んでいた家。


味噌パンで有名なアンゼリカ。


DORAMA。よく古本を買ってたな。熱帯魚の本とかジャズの本とか。今はゲーム屋さんになっていた。


たった9年で街はこんなに変わるんだ。
自分も変わったのかな…あれから。

次は吉祥寺。一番前の車両で見慣れた景色を見る。



永福町で急行に乗り換え。フォームしかなかった永福町の駅に駅舎ができていた。大勝軒、まだあるのかなあ。




遅い昼ごはんはぶぶかのラーメンと決めていた。行ってみたら…




北口に移転していた。

すっかりきれいな店に変わっていた。ガラガラの店内。何か違和感を感じつつ、油そばを注文。


味が変わったのか、自分の味覚が変わったのか。大学生のときは好きだったんだけど、油がきつい。うまくない。

油がお腹に溜まる恐怖を感じながら、井の頭公園へ。すっかり紅葉していた。



落ち葉遊んでいる子供とお母さんがいた。奈良にもこんな公園が近くにあるといいな。

初めて行ったスタバもなくなっていた。東急裏のスタバに行く。混んでいて入れなかった。


最中を買って帰る。おばちゃんが並んでいた。人気店みたい。

全てのものは変わる。

行かなきゃよかったという思いと、行って見てすっきりしたという思いの葛藤。

寂しい気持ちに包まれた一日でした。

2013年11月10日日曜日

【書評】ビジネスでいちばん大事な「心理学の教養」

◼︎所感
本文よりもあとがきが印象的だった。
コンピュータに置き換えられない人間の価値とはなにか。
情報量や処理能力以外のもの。それは人間の感情という摩訶不思議なものに対する理解かもしれない。

◼︎今日の赤ペンチェック
・フロー状態になるには
1.自分の能力に対して課題が適度に難しい
2.対象を自分でコントロールできる
3.結果について直接的なフィードバックがある
4.集中をさまたげるものがない

・日々のマネジメントとは、フローを生み出す4つの条件の整備

・学習性無力感(アメリカ心理学者 マーティン・セリグマン
何をしても無駄という気持ちは学習されたもの。個人の諦めは環境のせい。

・学習とは自らの行動基準や行動の前提となる理論を変更したり修正したりすることです。結果として行動が変わらなければ、それは学習ではないわけです。

・フリービット株式会社取締役酒井穣さん
人間は誰かに複雑なことをわかりやすく説明する必要性が与えられた時に、最も高い学習効果を発揮する」

「抽象化スキルは経験の再利用性を高める

◼︎明日から具体的にやること
・自分の嫌いな人をよくよく観察する。自分の中の暗黒な面に向き合う。(ユングのシャドウ

・自分の抱えている問題をリスト化して、こまめに振り返る(カラーバス効果、アハ体験

◼︎総評
★★★☆☆

【日記】引越し業者探し

奈良への引越しをお願いする業者を決めるため、S社とA社の2社に見積もりを依頼した。

S社の営業マンは説明が親切で、経験も豊富で信頼できる方だったが、結局は、以前お世話になったことがあって、より安価な見積もりを出してきたA社に決めた。

後味はあまり良くなかった。

それは、価格だけでなくサービスの品質なども考慮して決めようと思っていながら、ほぼ価格だけで決めた自分に対する失望かもしれない

引越しサービスにおける「他社とのちがい」はどう打ち出したらよいのか。

サービスのちがい引越しなんてそうそうないイベントだから体験はできない。

人のちがい目の前の人が提供するサービスではないから、営業マンの信頼だけでは決めきれない。

会社のちがい上場しているかどうかも決め手にはならない。上場していてもコンプライアンス違反する会社はある今日この頃。

こんなことを書いているうちに、思い出した。
そもそもこの2社に絞った理由。

それは、価格コムの評判の良さ。正確に言うと、クレームや不満の少なさで絞った。

今回の自分の購買行動を心理学的な観点でまとめる。

・新奇恐怖(以前お世話になったA社により安心感を持っていた。

・ゲイン・ロス効果(最初に見積もりを出したS社の額を基準にして、それよりも安いA社を選んだ。

・多数派同調バイアス(自分の頭で考えず、ネットの口コミだけで判断した。

・返報性の原理(お米の無料提供には影響されなかった。ごめんなさい。

2013年11月3日日曜日

【書評】顧客の声で強みを磨く

日経トップリーダー 2012年6月

◼︎所感
・ドラッカーのいう強みを活かす経営の具体的な実践例がわかって目からウロコだった。

◼︎今日の赤ペンチェック
福岡県北九州市 干物販売店「門司港じじや」秋武政道社長

・顧客の「お褒めの声」にすがりつくように耳を傾けていたら、会社はどんどん強くなった
・自社の至らない点を集めようとすると、顧客は重箱の隅をつついたようなクレームを寄せがちになる。社員の心も落ち込むし、何よりも強みが生まれない。
・褒めてくれる顧客の声に耳を澄ませば、会社を伸ばすヒントは必ず見つかる。

◼︎明日から具体的に実践すること
・お客様のお喜びの声