本日がトーマツ最終出社日。
2009年9月に入社してから4年2ヶ月。
色々なことがあった。
セミナー講師での挫折。
ロジカルシンキング実践編のデビューは今でも忘れられない。
それから、誰もいないセミナールームで一人練習を重ねた。
滝澤さん、深谷さん、秋吉さん、久永さん、多くの方に支えていただいた。
人前で話すことは今も得意ではないが、努力すれば、乗り越えられない壁はないんだということがわかった。
ITチームに所属できたことは幸せだった。
安達さんという偉大な存在、新谷さんという好奇心と熱い思いの塊のような存在、小暮さんという太陽のような存在。
自分にはないものを持っている方々に惹かれて入社した。夢を持って仕事をしている人ほど格好良い人はいない。
この決断をして本当に良かった。
そして、営業。入社して1年後の2010年9月。ITチームが解散して、研修営業に配属されると聞いた。
そして10月からテレマが始まった。
30歳前にしての泥臭い営業。
当時、前職の同期に会うのが辛かった。
コンサルティングをしたくて辞めたはずなのに、まさかこんな営業をしているなんて言えなかった。
なぜあの時踏ん張れたのだろう。
ここで辞めたら、所詮あいつはこんなもんだったと思われる。こんな意地もあったと思う。
ただ、振り返ると池谷さんの存在が大きかった。
大船に住んでいた池谷さんとは品川まで一緒に帰ることが多かった。
よく悩みを聴いてもらった。
「意外に今の営業の仕事は向いているんじゃないの?」
池谷さんから言われたことは大きな支えになった。
メンバーとしてチームへの貢献はほとんど意識していなかった。
チームリーダーの視点で考えると、とても扱いにくい存在だったと思う。
目標達成時の飲み会にもいかなかった。
嬉しい気持ちなど全くなかった。
池谷さんがいなくなった寂しさ、最低限の借りは返したという安堵、それだけだった。心身ともに疲れ果てていた。
この仕事は一人ひとりが目の前のお客様に対して価値を提供すること、そのためにはコンサルタントしての力量を地道に上げることしかない。
「目標達成のために」という内向きの思考で、期末になると強化される
営業のノリが大嫌いだった。
この短期思考で内向きの社風は、のちに退職しようと思った理由の1つとなった。
2011年3月。東日本大震災。
初級経営数字のセミナー中にそれは起きた。
目の前のお客様を守ること。
福島の実家の状況が気になってしかたがなかったが、仕事についている以上、自分のことは優先できなかった。皆が持ち場を離れたら社会が崩壊する。
仕事を放り出して帰る人もいた。そういう人を責めることはできなかった。でも、そういう人にはなりたくないと思った。
2011年10月のキックオフ。
伊藤さんのチームのメンバーとなった。
自分よりも後に入社した、しかも自分よりも年下の方が自分の上司となる。会社からは必要とされていない存在なんだということがこの人事でわかった。
ジャックウェルチのマトリックスが流行ったのもこの時だ。
私は完全に左側の存在だった。
伊藤さんには感謝している。
時折、チームの施策を決める前に意見を聴いてくださった。
伊藤さんのチームでなかったら、ここで辞めていたかもしれない。
この指止まれ経営は正しかったのか。
今になってわかったことは、異分子を排除しようという目的で使ってはいけないということ。
これは器の小さい経営者がストレスから逃れたいというエゴだと思う。異分子を使いこなせるかは自分の力量次第と考えるべき。
人を信用せずに首を切る行為は、いつまでも忘れられない。語り継がれる。
人に裏切られても自分は人を裏切るような人になりたくない。人を信用したい。
2012年4月。ミニリーダーになった。
自分一人で成果を出すのとは全く違う。リーダーという役割の難しさが初めて分かった。
7月に成果を出して欲しいと思っていたメンバーから退職の意思を告げられた。
これまでの時間と労力は何だったのだろう。徒労感だけが残った。
会社の方針に従わないメンバーの扱いにも頭を悩ました。
それに対して私は話を聴こうともしなかった。ただやりなさいとしか言わなかった。
上司からのアドバイスをそのまま実行に移した。
リーダーというのは上司のやりたいことを忠実に実行する存在なんだと言い聞かせて。
脅しのマネジメントはもうしない。
上司は夢を語る存在でありたい。
メンバーの長所を活かす存在でありたい。
自信を持たせる存在でありたい。
私のチームが上手くいかなかったのは、良いメンバーが揃っていなかったから。誰がリーダーをやってもうまくいかっただろう。
こんな気持ちが心の奥底にあった。
だから、自分のマネジメント力の無さに気づいていなかった。
2012年10月。neoというチームのリーダーになった。
新しい取り組みをして、全社を引っ張る存在でありたい。夢に溢れていた。
でも、ちょっとしたチャレンジは第一四半期で終わった。目標達成ができなかったから。
年明けから元の営業組織に戻った。
結果を残せなかったのは、話し合いを重ねるだけで、ほとんど実行に移せなかったのが大きい。
戦略だけでなく、実行力と、軌道修正力の重要性を認識した。
目標未達の焦りが募った。
2013年2月のある休日。ほとんど出社していない社内で、危機感のなさに苛立って、メールを送った。
ここから何かが狂った気がする。
川合さんというベテランがチームにいたにも関わらず、誰にも相談しなかった。メンバーの話も聞かなかった。
脅しのマネジメントをしてしまった。
2013年6月。チームリーダー失格と言われた。メンバーとの壁が解消できなくなっていると言われた。
チームのために命を掛けているのかとメンバーから問われた。
それに答えられなかった。
営業のノリは嫌だ。
お客様に価値を提供できるコンサルタントになるために、地道な努力をしてほしい。
弱いメンバーが頼り合うチームにしたくない。
これは私のエゴなのだろうか。
メンバーに謝れと上司に言われたときに、私の中ですべてが終わった。
メンバーに頭を下げ、資源配分を調整し、中核メンバーにチームのマネジメントを移譲して、私の役割は終わった。
2013年10月。新しい期を迎えた。
一人ひとりがプロ意識を持って、目の前のお客様に価値を提供する。
これが商売の原点だと思う。
お客様を忘れた組織に未来はない。
まともな組織になりつつあることを知って安堵した。それと同時に残念だった。
もっと早く話を聴きたかった。
自分の思うことが言えない組織は健全ではない。意見の交換から新たな発見が生まれる。
自分はそこから逃げていた。
自分が所属する組織を健全な方向に導くこと。
誤った方向に行っているときは声を大にして言う勇気を持つこと。
これが今の私の課題。
トーマツでは色々なことを学ばせていただいた。
この学びを次に活かすこと。
それがお世話になった方々への恩返しだと思う。
本当にありがとうございました。